学生時代を思い出すと、
黒板をひたすら写していた記憶がある。
先生が前に立って、
大事そうなことを書く。
生徒は急いでノートに写す。
遅れると焦る。
字を丁寧に書く余裕もない。
とにかく「写す」。
でも大人になって、
ふと思った。
「あれって何の練習だったんだろう」
真面目にやってきた。
怒られないように生きてきた。
でも気づいたら、
自分で考える力だけが育っていなかった。
その原因の一つが板書教育だと思っている。
もちろん、
板書そのものを全否定したいわけじゃない。
学校という仕組みの中では、
かなり効率的だから。
先生一人で、
30〜40人を同時に教える。
同じ内容を、
同じ順番で伝える。
しかも短時間で。
そう考えると、
黒板に書いて写させる方法は合理的だ。
教員側の負担も減る。
授業も進めやすい。
集団教育には向いている。
でも問題は、
「効率がいい」と
「役に立つ」は違うこと。
ここがかなり大きい。
板書の時間って、
実は脳が止まりやすい。
人間の脳は、
書くことに集中すると、
考える余裕が減る。
だから授業中って、
内容を理解しているようで、
実はほとんど理解していない。
「あとで見返せばいい」そう思っている。
でも後でノートを見ても、
全然頭に入ってこない。
学生時代のノートを見返して、
「何これ」ってなった経験、
結構あると思う。
綺麗にまとめているのに内容は覚えていない。
これは能力不足じゃない。
仕組みの問題だと思う。
だって板書教育って、
「考える」より
「写す」が優先されるから。
先生より早く書ける人が有利。
字を書くのが遅い人は不利。
でも社会に出ると、
そんな場面はほぼ存在しない。
目の前の情報を必死にノートへ写す仕事、ありえない。
大人になると必要なのは、
「何を書くか」より
「どう考えるか」
ここが重要になる。
例えば仕事でもそう。
マニュアル通りに動くだけなら、
AIや仕組み化に置き換わる。
でも、
「なぜ問題が起きたのか」
「どう改善するか」
「相手は何を求めているか」
こういう部分は、
自分で考えないといけない。
でも学校では考えるより先に
「正しく写す」が評価される。
だから真面目な人ほど苦しくなる。
言われた通りにやる。
間違えないように動く。
怒られないようにする。
それは学校では優秀だった。
でも社会では、
それだけだと評価されにくい。
ここで多くの人が混乱する。
「真面目に生きてきたのに」
「ちゃんとやってきたのに」
「なんで苦しいんだろう」
ここでで発信したいのはまさにこれ。
あなたが悪いわけじゃない。
ただ、「失敗しない教育」に
最適化されすぎただけ。
学校教育って、
挑戦より安定を重視する。
自分の意見より、
空気を読む力が求められる。
だから「普通以下の普通」が強くなる。
でもその普通が、
30代になって苦しくなる。
何をしたいか分からない。
でも現状には不満がある。
転職も怖い。
副業も不安。
でもこのままも嫌。
そうやって何もできなくなる。
実はこれ、
能力の問題じゃない。
「自分で考える訓練」を
ほとんど受けていないだけ。
今からでも遅くない。
むしろ大人になってから、
初めて学べることも多い。
例えば、
「なぜ働くのか」
「自分は何が苦しいのか」
「本当はどう生きたいのか」
こういう問いって、
学校ではほぼ教わらない。
でも人生では、
かなり重要だったりする。
板書教育を受けた人ほど、
最初は戸惑うと思う。
正解を探してしまうから。
でも人生って、
黒板の答えを写すゲームじゃない。
自分で考えて少しずつ試していくしかない。
最初から上手くいく人なんて、
ほとんどいない。
だからメテカムラボでは、
「平凡な大人の逆転」をテーマにしている。
特別な才能がなくてもいい。
学生時代に優秀じゃなくてもいい。
むしろ、
「なんとなく生きてきた」
「気づいたら30代だった」
そんな人にこそ、
伝えたいことがある。
人生って、
途中からでも変えられる。
ただしそのためには、
「考える側」に回る必要がある。
黒板を写す側ではなく。
もし今、
「このままでいいのかな」
「何か変えたい」
そんな気持ちが少しでもあるなら、
一人で抱え込まなくても大丈夫。
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